![[Visionary Legends #02] Vannevar Bush – 「MEMEX構想と知識の未来」](https://humanxai.info/images/uploads/visionary-legends-02-vannevar-bush.webp)
序章:戦後の入口に置かれた“思考機械”
1945年7月、The Atlantic Monthly にヴァネヴァー・ブッシュ(1890–1974)の随想 「As We May Think」 が載る。

ヴァネヴァー・ブッシュ - Wikipedia
ヴァニーヴァー・ブッシュ(英: Vannevar/væˈniːvɑr/ Bush、1890年3月11日 - 1974年6月30日)は、アメリカの技術者・科学技術管理者。アナログコンピュータの研究者、情報検索システム構想 memex 提唱者、マサチューセッツ工科大学副学長、また原子爆弾計画の推進者として知られる。マサチューセッツ州エバレット出身。
https://w.wiki/FXkM
As We May Think - Wikipedia
As We May Think is a 1945 essay by Vannevar Bush which has been described as visionary and influential, anticipating many aspects of information society. It was first published in The Atlantic in July 1945 and republished in an abridged version in September 1945—before and after the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki.
https://en.wikipedia.org/wiki/As_We_May_Think第二次大戦の科学行政を指揮した張本人が、勝利の直後に語ったのは兵器ではなく知識の使い方だった。
彼は、科学が「破壊のため」ではなく「人間の思考を助けるため」に働くべきだとし、その象徴として MEMEX(メメックス) という“思考機械”を提示する。

Memex - Wikipedia
Memex(メメックス、MEMory EXtender すなわち「記憶拡張機」の略)は、ヴァネヴァー・ブッシュが1945年の The Atlantic Monthly 誌の記事 ”As We May Think(英語版) (AWMT)” で発表したハイパーテキストの元となったシステムの概念である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/MemexMEMEXは単なる装置の名ではない。
情報爆発(information explosion) に晒される人間が、どうすれば考え続けられるかという設計思想そのものを指している。

Information explosion - Wikipedia
The information explosion is the rapid increase in the amount of published information or data and the effects of this abundance. As the amount of available data grows, the problem of managing the information becomes more difficult, which can lead to information overload.
https://en.wikipedia.org/wiki/Information_explosion第1章 前史:工学者ブッシュの“道具観”
ブッシュはMITで 微分解析機(Differential Analyzer) を作った機械式アナログ計算の大家で、戦時中は米国の研究開発を統括する OSRD(科学研究開発局) のトップ。

微分解析機 - Wikipedia
微分解析機(びぶんかいせきき、英: Differential Analyser)は、微分方程式で表すことができるような問題について数値積分のようにして、ただし数値的に(ディジタルに)ではなく、「数量的に」(アナログに)解を得るアナログ計算機である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AE%E5%88%86%E8%A7%A3%E6%9E%90%E6%A9%9F
科学研究開発局 - Wikipedia
科学研究開発局(かがくけんきゅうかいはつきょく、Office of Scientific Research and Development (OSRD))は、かつてアメリカ合衆国に存在した連邦政府機関である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%96%8B%E7%99%BA%E5%B1%80つまり“計算機と組織”の両面で、人間の能力を外部化する道具を扱い続けてきた人だ。
彼の視点は常に「人間中心」だった。
計算機の性能や理論の洗練よりも、人間が成果を出す仕組みに関心がある。
だからこそ戦後第一声の問いが「知識はどうやって人に役立つべきか」になる。
第2章 MEMEXの設計:机に埋め込まれた“拡張記憶”
MEMEXは、机の形をした個人用知識機械として描かれる。
主な要素は次の通り。
-
巨大なマイクロフィルム格納庫:
個人図書館レベルの資料を圧縮保存。 -
半透明スクリーン×2:
左右の画面に別文献を並べ、比較・参照できる。 -
操作レバー&キーボード:
資料の呼び出し、拡大縮小、ページ送り。 -
“トレイル(Trail)”:
文献と文献を 連想的(associative) に連結する手続き。 -
トレイル共有:
自分が引いた“思考の道筋”を他人に配布・再生可能。
重要なのは、索引(インデックス)ではなく連想(アソシエーション) を検索の原理に置いた点だ。
人間の思考は辞書的な順序ではなく、意味の結びつきで跳ぶ。
MEMEXはその“跳び方”を機械化しようとした。
ブッシュは、未来の研究者が「自分のトレイル」を記録し、他者のトレイルを辿って新しい洞察を得ると想像した。
これはのちの ハイパーテキスト/ブックマーク/リンク共有 の原型にほかならない。
第3章 「As We May Think」の文脈:破壊から知の秩序へ
戦時の科学は巨大な成果を生んだが、同時に知識の断片化と情報過多を加速した。
ブッシュは論文の中で、研究者が「必要な情報を探し出し、加工して、新しい文脈で再利用する」行為こそ知的生産のボトルネックだと見抜く。
だからMEMEXは図書館の置き換えではなく、研究そのもののワークフロー再設計である。
収集→連想的結合→再配布という一連のプロセスを、個人の机上で完結させる構想は、今日の「パーソナル・ナレッジ・マネジメント(PKM)」や「二次脳(second brain)」の発想に直結している。

Personal knowledge management - Wikipedia
パーソナル・ナレッジ・マネジメント(PKM)とは、人が日常業務において知識を収集、分類、保存、検索、取得、共有するために用いる情報収集プロセス( Grundspenkis 2007)であり、これらのプロセスが業務活動を支援する方法(Wright 2005)である。これは、知識労働者は自身の成長と学習に責任を持つべきであるという考え(Smedley 2009 )への回答であり、ナレッジ・マネジメント(KM)に対するボトムアップ型のアプローチである(Pollard 2008)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Personal_knowledge_management
Second brain - Wikipedia
Second brain can refer to: The enteric nervous system.A now-disproven theory that some large dinosaurs may have had two brains.
https://en.wikipedia.org/wiki/Second_brain第4章 実装されなかった理由:技術と経済のギャップ
MEMEX自体は作られなかった。
理由はクリアだ。
-
物理媒体の限界:
マイクロフィルムは“リンクの更新”に向かない。
編集コストが高く、相互参照の“生態系”を構築しづらい。 -
共有インフラの不在:
個人装置の外に、リンクを流通させるネットワークが無かった。 -
コスト構造:
当時の撮影・現像・投影装置は高価で、一般化の道筋が薄い。
しかしこの“不成立”そのものが、後の思想と技術を牽引する。
「何をすれば実現できるか」 という課題リストを次世代に渡したからだ。
第5章 継承:エンゲルバート、ネルソン、そしてWebへ
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ダグラス・エンゲルバートはMEMEXを受け、NLSでリンク/同時編集/リビジョンを動く形に統合した。彼の目標は「人間の知性の拡張」であり、思想の血筋は明らかだ。
ダグラス・エンゲルバート - Wikipedia
ダグラス・カール・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart、1925年1月30日 - 2013年7月2日)は、アメリカ合衆国の発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の オーグメンテイション研究センター (ARC) で行ったヒューマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し[3]、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。
https://w.wiki/6brW -
テッド・ネルソンは“リンクの本質”を徹底的に磨き、ハイパーテキストを命名。
単なる“ジャンプ”ではなく双方向リンク や トランスクルージョン(原文片の取り込み) など、著作と文脈を保った参照の厳密さを追求した(Xanadu)。テッド・ネルソン - Wikipedia
テッド・ネルソン(Theodor Holm Nelson 1937年6月17日 -)は、アメリカ合衆国の社会学者であり思想家であり情報技術のパイオニアである。彼は1963年に「ハイパーテキスト」と「ハイパーメディア」という用語を生み出し1965年に発表した。彼はまた、トランスクルージョン、Virtuality(電子書籍システムの概念構造)、Intertwingularity(知識の相互関連性)、テレディルドニクスといった用語も生み出した。
https://w.wiki/FXkC -
ティム・バーナーズ=リーのWWWは、現実的な“ゆるいリンク”で世界を結んだ。ネルソンの厳密性は失われたが、普及可能性を優先することで「リンクの社会化」に成功した。
ティム・バーナーズ=リー - Wikipedia
ティモシー・ティム・ジョン・バーナーズ=リー(英語: Timothy Tim John Berners-Lee、1955年6月8日 - )は、イギリスの計算機科学者。ロバート・カイリューとともにWorld Wide Web(WWW)を考案し、ハイパーテキストシステムを実装・開発した人物である。またURL、HTTP、HTML の最初の設計は彼によるものである
https://w.wiki/3YmN
この系譜を“思想の力学”として見れば、厳密さ(ネルソン)—実用の統合(エンゲルバート)—大規模普及(Web) の三段跳びだったと言える。
第6章 MEMEXをAIで再実装する:2020sの課題
いま私たちが手にしているのは、ブッシュが想像しなかった意味レベルの機械(LLM) だ。
ここからが面白い。
MEMEXの要件をAI時代の仕様に引き直すとこうなる。
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連想のアルゴリズム化
- 固定リンクだけでなく、埋め込み(embedding)による意味近傍で“トレイル”を再構成。
- 個人ごとに 可塑的(plastic) なリンク地図を持てる。
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トレイルの保存と再生
- “質問→調査→思考→結論”の対話ログを再実行可能にする
(プロンプト・チェイン/ツール実行履歴)。 - 他者がトレイルをフォークし、分岐した道の成果を共有。
- “質問→調査→思考→結論”の対話ログを再実行可能にする
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引用と原典の担保
- LLMの要約は参照の断絶を招きやすい。
元文献への双方向リンクと断片の出典(トランスクルージョン的提示)を標準化する。
- LLMの要約は参照の断絶を招きやすい。
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Private-First
- MEMEXは個人機だった。
クラウド中心の現代でも、ローカル優先と許可ベース共有を設計原則にする。
- MEMEXは個人機だった。
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Collective MEMEX
- 個人のトレイルが組織の知として合流する。
権限付きグラフ、差分追跡、再計算。 - エンゲルバートのCollective IQを、AIスタックで実運用に落とす。
- 個人のトレイルが組織の知として合流する。
MEMEXは “機械の名前”から“アーキテクチャの名前” へアップデートされるべきだ。
AIは、その再実装を現実的にしている。
第7章 批判的視点:リンクの光と影
ブッシュの楽観には、今日的に見直すべき点もある。
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連想は偏見を強化する:
好きな道だけを辿る“同質ループ(echo chamber)”が生まれる。 -
情報の正統性:
リンクの連鎖は誤情報も増幅する。検証可能性(verifiability)をどう制度化するか。 -
所有と著作:
ネルソンが重視した“正当な参照”は、AI時代に再び重要になる。
自動生成と出典の両立は最前線の課題だ。
MEMEXを再起動するなら、「連想の自由」×「検証の制度」 を同時に設計しなければならない。
第8章 実装ノート:個人用MEMEXの最小構成(2025版)
ブッシュの精神を保った最小実装を、開発者視点で要件定義しておく。
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ストレージ:
ローカルの検索可能DB(SQLite + FTS5 / LiteLLM索引) -
ドキュメント取り込み:
Web/論文/PDF/メモを一元キャプチャ(Readwise-like) -
リンクグラフ:
URL・見出し・段落ID単位の粒度で双方向リンク -
埋め込み索引:
文脈検索 + 類似文書サジェスト(再現性のためモデル・バージョン固定) -
トレイル記録:
質問→結果→引用→ノートのイベントログを時系列保存、再生ボタンで再現 -
共有:
トレイル単位で公開/非公開、フォークとコメント -
出典管理:
トランスクルージョン(原文片の出典表示)、恒久URL(パーマリンク) -
セキュリティ:
ローカル優先、クラウドは暗号化同期、個別許可での共同編集
これはそのまま “AI時代の研究ノートアプリ” の仕様書になる。
ブッシュの机を、いまの机(PC)に落とすだけだ。
結語:As We May Think
ブッシュは物理的MEMEXを作れなかった。
だが、「人が考えるように機械を組む」 という設計思想を遺した。
エンゲルバートはそれを動かし、ネルソンは厳密にし、バーナーズ=リーは世界へ解き放った。
私たちの番では、AIを使って“連想・出典・再実行”を同居させることが課題になる。
As We May Think——「私たちが考えるように」。
いま、その“私たち”には人間とAIの共走が含まれている。
関連リンク
![[Visionary Legends #01] Douglas Engelbart – 「人間の知性を拡張する」](https://humanxai.info/images/uploads/visionary-legends-01-douglas-engelbart.webp)
[Visionary Legends #01] Douglas Engelbart – 「人間の知性を拡張する」
Douglas Engelbart(ダグラス・エンゲルバート)は、マウスの発明者として知られるが、真の目的は「人間の知性を拡張する」ことにあった。本記事では彼の思想、NLSやAll Demoの歴史的意義、そして現代AI時代への示唆を解説する。
https://humanxai.info/posts/visionary-legends-01-douglas-engelbart/
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