【Programmer Legends #07】リチャード・ギャリオット: RPGの扉を開いた“ロード・ブリティッシュ”

はじめに:コードで世界を形にした“最初の数年”

リチャード・ギャリオット(ロード・ブリティッシュ)が「プログラマーレジェンド」と呼ばれるのは、趣味から始めた Akalabeth を経て、その後の Ultima I へと繋ぐ初期の数年である。ここでは、彼が一人でどのような思考と行動で RPG の骨格をプログラムに落とし込んだか、その実際を掘る。

高校卒業直後(1979年夏)、ガリオットは Apple II を手に入れ、Applesoft BASIC で最初の RPG、『Akalabeth: World of Doom』を趣味として書き始めた。 彼は高校時代、小さな「D&D系ゲーム」を多数制作しており、その中のひとつが Akalabeth へと発展していく。

Akalabeth の地下迷宮部分では、ワイヤーフレームの擬似3D表示を導入。 上空のマップや街の探索、装備品購入、魔法アイテム、食料管理など、後の Ultima シリーズで定番となる要素がここに生えていた。

The first-person dungeon perspective of Akalabeth. The player is fighting a skeleton near a ladder. The dark blue color indicates this is the second level of the dungeon. (The colors are from the DOS port of the game for the Ultima Collection.)

また、マニュアルやカバーアートを手作りし、Ziploc の袋入りで販売するなど、自作・自販形式でリリースした。彼自身が印刷所で印刷し、母親と手作業で組み立てたという逸話も残っている。

Akalabeth の成功(約 30,000 本の売上)を受けて、大学進学後すぐに Ultima I の制作に取りかかることになる。

大学1年生の時期、Ken W. Arnold の協力を得て、Akalabeth のコードや概念を下敷きにしながら、ゲームの外見・クエスト・ユーザーインターフェイスなど冒険の“体験”を拡張した作品が Ultima I である。

この期間こそ、ガリオットが「好きだった D&D を自分のゲームとして実装し、商用にも耐える形へ作り上げた」瞬間の連続だった。

技術的制約(BASIC の速度、グラフィックの制御、記憶装置の容量など)を抱えながらも、彼は「遊びとしてではなく世界として機能する RPG」をプログラミングしたのである。

高校生が作ったRPGの原点:Akalabeth(1979–80)

  • 出自
    ギャリオットは高校時代に28本以上のD&D風ゲームをBASICで作っており、その延長として『Akalabeth』を生んだ。Apple II と Applesoft BASIC を駆使し、地上はトップダウンのマップ、地下はワイヤーフレームの疑似3Dダンジョンを描画するという革新的な構造を実装した。

  • 技術的挑戦
    Apple II の制約下で擬似3Dを動かすため、線分描画を駆使し「動く迷宮」を見せた。当時のRPGは文字ベースが主流だったため、これは視覚表現の飛躍だった。さらに食料や装備の管理など、“生き延びる仕組み”を数値で制御した点も先駆的だった。

  • 頒布から商業へ
    最初は母親のタイプライターで説明書を打ち、ビニール袋(Ziploc)に入れて手売りした。地元の ComputerLand 店で売られ、来店していた California Pacific Computer Co. の担当者に拾われて商業化される。
    1980年に正式リリースされ、約3万本が売れたとされる。

ここで重要なのは、「RPGの主要要素(探索/成長/地上と地下の二重構造)」を、個人がBASICコードだけで初めて“遊べる形”に落とし込んだことだ。
これにより、“趣味のコード”が“商用RPGの設計図”へと変貌した。

Ultima I(1981):趣味から商用への拡張

  • 制作の背景
    『Akalabeth』の成功で商業化の手応えを得たギャリオットは、大学入学直後に「本格的に売れるRPG」を意識して開発に着手。
    Apple II をターゲットに、よりリッチな体験を目指した。

  • 技術面の進化
    ・ ダンジョンは Akalabeth のワイヤーフレーム 3D 表示を流用・改良。
    ・ 地上マップは16×16のタイル制ワールドマップへ進化し、プレイヤーは城・町・洞窟・塔を探索できるようになった。
    ・ BASIC のみならず、処理の重い部分はアセンブリ言語で書き直し、速度を確保した。

  • ゲームデザインの拡張
    ・ 経験値によるレベルアップシステム。
    ・ 装備品・魔法・乗り物(馬、飛行機、宇宙船まで!)。
    ・ 王からのクエストを受けて魔王モンデインを倒すという明確な物語構造
    ・ 宇宙に飛び立ちシューティングを行うというジャンル越境的要素もあった。

  • 販売と影響
    California Pacific から発売されヒット。
    『Ultima I』はのちに「コンピュータRPGの礎」と評価され、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーに直結する設計思想を確立した。

Akalabeth が「趣味の延長」であったのに対し、Ultima I は**「自分の好きな世界を万人に遊ばせる」**という野心を帯びていた。
BASIC+アセンブリで組まれたそのコードは、単なるプログラムではなく「RPGの型」を生んだ設計書だった。

Ultima II(1982):出版の混乱と“箱の作法”

パブリッシャー移行

『Ultima II』は当初も California Pacific から出す予定だったが、布マップや説明書など同梱物を充実させたいギャリオットの要望と、出版側のコスト感覚が折り合わずに対立。最終的に Sierra On-Line がリリースを引き受けることになった。
California Pacific は直後に倒産し、ギャリオットはのちに権利を買い戻していく。これがのちの Origin Systems 設立(1983) へと繋がる布石になる。

“箱の作法”の始まり

ギャリオットは単にゲームを売るのではなく、プレイヤーが箱を開けた瞬間から「異世界に入る」体験を設計した。布マップ、厚手のマニュアル、同梱の資料。これらは「パッケージRPG文化」の出発点となり、後のウルティマや Wizardry、そして日本のドラクエやFFの特典文化にも影響を与えた。

技術的な位置づけ

コード面ではまだ本人の比重が大きく、Apple II を中心に BASIC+アセンブリで開発。Ultima I の延長線上にあり、革新というより「世界の広がり」と「出版物としての体裁」に重きが置かれていた。


この時期の重要性は、「プログラム=ゲーム体験」から「パッケージ全体=ゲーム体験」へと視野を広げた点にある。
まだチーム体制は整っておらず、コードの大半はギャリオット本人が書いていたが、すでに “商品としての世界観”を作る意識 が芽生えていた。

Ultima III(1983):Origin Systems創業、個人開発からチームへ

  • Origin Systems創業
    『Ultima II』の出版トラブル(Sierraとの確執)を経て、ギャリオットは家族と共に Origin Systems を創業。『Ultima III: Exodus』がその最初のタイトルとなった。
    以後、シリーズは自社パブリッシュに切り替わり、開発・販売の両輪を自らコントロールするようになる。

  • チーム開発への転換
    ここからはギャリオット単独のコードではなく、兄の Robert や Chuck Bueche ら仲間たちとの共同作業が進む。音楽やグラフィックも分業化され、**「一人の学生プログラマー」から「チームのディレクター」**へと役割が変化した。

  • 技術的進化
    ・ プレイヤーは最大4人パーティ制で冒険(前作までは単独)。
    戦闘はタクティカルなターン制マップバトルに進化。
    ・ アセンブリを多用し、処理速度や表現力をさらに強化。
    ・ Apple II から他機種(Atari, Commodore 64, IBM PC)へとマルチプラットフォーム展開。

  • 影響と評価
    『Ultima III』は北米だけでなく日本でも注目され、後の 『ドラゴンクエスト』に強い影響を与えたと堀井雄二も語っている。特に「パーティ制」「シナリオの骨格」「フィールドとダンジョンの両立」は、JRPGの基本設計へと直結した。

ここを境に、ギャリオットは徐々に ディレクター/ワールドビルダーとしての色を強めていく。

技術的・思想的ブレイクスルー

  • BASICからアセンブリへ
    高校生のギャリオットは Applesoft BASIC だけで Akalabeth を作った。しかし Ultima I では、計算量の多い描画処理やゲームループをアセンブリに置き換え、処理速度を大幅に向上させた。これは「遊べる速度」を確保するための必然の選択であり、同時代の学生開発者に比べて突出していた【web†source】。

  • 「世界を持ったゲーム」への転換
    それまでのコンピュータゲームは、スコアを競うアーケード型か、迷路・戦闘の単発的シミュレーションが主流だった。ギャリオットはそこに「城と町、NPC、買い物、食料、時間の経過」を導入し、持続する世界を提示した。これは後の RPG が前提とする枠組みをほぼ一人で形にしたことを意味する。

  • “遊び”から“物語”へ
    Akalabeth の頃は「ダンジョンで生き延びる」だけだったが、Ultima I では「王からの依頼」「ラスボス・モンデインの存在」という目的と物語の骨格を持たせた。以後の RPG に必須となる「プレイヤーのロール(役割)」がここで確立した。

  • 個人コードがジャンルを生んだ事実
    当時のギャリオットはまだ大学生。趣味の延長で書いたコードが、後のドラクエやFFに直接的な設計影響を与え、「コンピュータRPG」という新しいジャンルのひな型になった。
    つまり彼の功績は、奇抜なアイデア以上に、「個人のBASIC/アセンブリコードが、世界的ゲームジャンルの共通基盤になった」ことにある。

まとめ

リチャード・ギャリオットはしばしば「奇人・冒険者」として語られる。
自宅にダンジョンを作った話、宇宙旅行へ行った話…。
だが、プログラマーレジェンドとしての真価は高校〜大学初期の数年に凝縮されている。

  • BASIC とアセンブリだけで「世界を持ったRPG」を一人で作った
  • Akalabeth と Ultima I の設計感覚が、ドラクエやFFの基盤を形作った
  • 趣味のコードがジャンルを生み、商業化された最初の瞬間を担った

以降の彼はチームを率い、世界観や社会的テーマを盛り込んで Ultima シリーズを拡張していく。

しかし「個人プログラマ」としての輝きは、この最初の挑戦にこそある。

だからこそ、ギャリオットを「プログラマーレジェンド」と呼ぶなら、冒険者の人生ではなく、“コードで世界を作った若き数年間” を押さえておく必要があるのだ。

以降の話は“別シリーズ”へ

Ultima IV以降は倫理・徳の導入(アバター思想)や、MMO(Ultima Online)、さらには宇宙飛行など、「ゲーム体験と生き方」 の話へ広がる。
これは 「ゲーム開発レジェンド/哲学的冒険者」 のカテゴリで扱うのが筋だ。
(The New Yorker)

参考・出典