[Technology] ハッカーを追え!──技術と自由のはざまで揺れた1990年代アメリカ

はじめに

1990年代初頭──
インターネットがまだ「電脳空間(cyberspace)」と呼ばれていた時代。
世界は新しい情報社会の入り口に立っていた。
だが同時に、その未知の領域に対する “恐怖と誤解” も広がっていた。

政府はハッカーを「新しい犯罪者」と見なし、コンピュータ通信の黎明期にあったBBS運営者や学生たちを次々と摘発。 メディアは彼らを“電子の忍者”“情報泥棒”と呼び、テクノロジーの進化を脅威として報じた。 つまり、技術がまだ言葉として理解される前に、“犯罪”として定義されてしまった時代だった。

ブルース・スターリングの著書『ハッカーを追え!(The Hacker Crackdown)』は、 この混乱と誤解のただ中にいた「技術者」「政府」「ジャーナリスト」「市民」たちの群像を描くノンフィクションである。 単なる事件記録ではなく、**新しい社会が産声を上げる瞬間に生じた“倫理の摩擦”**を描いた文明史的ルポルタージュだ。

Operation Sundevil──恐怖と誤解のはじまり

1990年前後、FBIやシークレットサービスは全国規模の摘発作戦「Operation Sundevil」を実行。 ターゲットはBBS運営者、学生、そして無垢なエンジニアたち。 多くの機材が押収され、無関係の個人まで「ハッカー容疑者」として扱われた。

だが、彼らの多くは“破壊者”ではなく、“探究者”だった。 ネットの深部を覗こうとしただけで、犯罪者にされていった。 この誤解の根底には、法が技術を理解していなかったという構造的な問題があった。


Steve Jackson Games事件──創造の自由を奪った日

テーブルトークRPGの出版社「Steve Jackson Games」は、ある日突然、シークレットサービスの家宅捜索を受ける。 押収理由は「ハッキング関連文書の所持」。 しかし実際は、単なるゲーム用シナリオファイルだった。

この事件は、創造と表現の自由を奪う捜査の象徴として全米を騒がせ、 後に「電子フロンティア財団(EFF)」が設立されるきっかけとなった。 いま私たちが当然のように使う“ネットの自由”という言葉の原点がここにある。


スターリングのまなざし

スターリングは、ハッカーを単なる犯罪者ではなく、 “まだ名前のない領域”を歩く新しい人類の一形態として描く。 彼らはシステムを壊すために侵入するのではなく、 **「理解するために触れる」**という知的な衝動に突き動かされていた。

国家と個人、技術と法、管理と自由。 この衝突の中で、スターリングは人間そのものの未熟さを描いている。 つまり、“技術が進化しても人間の理解は追いつかない”という真実を。


現代への継承──監視社会の夜明け前

30年以上が経った今、AI監視・SNS検閲・サイバー防衛法…。 同じ構図が再び、形を変えて現れている。 技術を恐れ、法が追いつかず、個人の自由が静かに削られていく。

『ハッカーを追え!』は、そんな現代の“前史”を描いた書だ。 あの頃の失敗を繰り返さないために、いま読むべき本だと感じた。


「ハッカーとは、システムを理解しようとする人間のことだ。」 — Bruce Sterling