![[Computer] なぜ日本では無名?世界で最も売れたパソコン Commodore 64](https://humanxai.info/images/uploads/computer-commodore64-history.webp)
はじめに
Subsistenceというサバイバルゲームを以前よくやっていて、Youtubeにも動画を上げてるのですが、海外アプリなのもあり検索すると海外ユーザーの方が多く、何人か読者登録をしてよく見てた事があります。
その中の一人 「Julia LetsPlays」という方が、Commodoreというパソコンの紹介を始めて、何となく見ていると起動後ブルーの画面にBASICが表示され、電源を入れるとデフォルトで立ちあがる。
それみて、MSXそっくりだと驚いていたら、Commodore64/128 には、MSXのような読者投稿プログラムの歴史があり、この動画の女性がその頃の思い出話を始め、チェックサムプログラムの話まで初め、さらに驚いて 英語でこの人の動画のコメントに投稿したことがります。
When I was a child, I had an MSX computer at home, and I used to type in magazine code in BASIC. However, I always made typos, which were difficult to find visually.
Even the line number of the error was sometimes unreliable.
In those cases, by adding just a few lines of a checksum program, I was able to display the hash value and compare it with the magazine code to find the line with the typo.
I’m amazed that the same culture that existed in Japan exists overseas.
それ以降、Subsistenceより、海外のレトロパソコン紹介動画を上げるのを楽しみに見てた時期があります。
この方、FDや周辺機器も凄く大事にされていて、レトロパソコン愛を感じ、その辺りも非常に好印象でした。
コメントでも、同様の感想を持った人が多いようで、子供の頃同じようにプログラムを写経してたとか、今は大手企業でエンジニアをしてるとか。
それ以降、Commodore64の事は忘れていましたが、最近、AIと色々雑談する中で自分の興味のある話題を深堀して記事にする事が増えたのもあり、Commodore64について聞くと、世界で最も売れたパソコンだと聞いて、再度驚いたり。
今回もCommodore64について雑談を踏まえてAIに情報をまとめてもらったのでそれを記事にしてみます。
雑談の中から記事アイデアが生まれてるので、今回も異色な記事になってるかもしれません。
1. 世界で一番売れたPCとは?
1982年に登場した Commodore 64(C64) は、いまなお「単一モデルとして世界で最も売れたデスクトップPC」として記録されている。

コモドール64 - Wikipedia
コモドール64(Commodore 64)は、コモドール社が1982年1月に発表した8ビットホームコンピューターである。C64、C=64、C-64などと略記される。CBM 64(Commodore Business Machines)あるいは VIC-64 とも称される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB64ギネスは「1982年8月〜1994年4月の生産期に最も売れたデスクトップ」と明記し、独立推計でも累計 約1,250万〜1,700万台 というレンジが一般的だ(“3,000万台説”も流布するが、シリアル番号解析や一次資料精査ではおおむね1,250万台前後に収れんしている)。
(ギネス世界記録)

Best-selling desktop computer
The best-selling desktop computer of all time is the Commodore 64, which was manufactured by Commodore International (USA) between August 1982 and April 1994. The exact number of C64s sold is unclear – Commodore founder Jack Tramiel estimated between 22 and 30 million units, Commodore's official estimate was 17 million units while a credible modern estimate puts the figure at around 12.5 million units. The C64 is still the most popular single model of desktop computer, even with the most conservative numbers.
https://guinnessworldrecords.com/world-records/72695-most-computer-sales?utm_source=chatgpt.comそれほどの“国民機”でありながら、日本ではC64の存在感はほぼ皆無だった。
80年代の日本市場は NEC PC-8801/PC-9801、富士通FM-7、シャープX1、そして規格連合のMSX が強固なエコシステムを築き、流通・学校・企業・専門誌まで含めた国内陣営が市場を押さえていたためである。
結果として海外機が入り込む余地は小さかった。(ウィキペディア)

PC-8800 series - Wikipedia
The PC-8800 series (Japanese: PC-8800シリーズ, Hepburn: Pī Shī Hassen Happyaku Shirīzu), commonly shortened to PC-88, are a brand of Zilog Z80-based 8-bit home computers released by Nippon Electric Company (NEC) in 1981 and primarily sold in Japan.
https://en.wikipedia.org/wiki/PC-8800_series?utm_source=chatgpt.comもう一つの大きな要因は日本語環境の壁だ。
C64は英語圏向けASCII前提で、当時の日本で必須だった かな漢字表示(2バイト文字) に対応せず、ワープロや業務用途でPC-98+MS-DOSが伸びる中、C64は実用プラットフォームとして戦えなかった。
日本語圏へ本腰で最適化されなかったことが、広告・雑誌露出の欠如と相まって「知られないまま」だった背景である。
(ウィキペディア)

PC-9800シリーズ - Wikipedia
PC-9800シリーズは、日本電気(以下NEC[4])が1982年(昭和57年)から2003年(平成15年)9月30日の受注終了まで、日本市場向けに販売[注 1]した独自アーキテクチャのパーソナルコンピュータ(パソコン)の製品群である。同社の代表的な製品であり、98(キューハチ/キュッパチ)、PC-98、NEC98など略称されることもある
https://ja.wikipedia.org/wiki/PC-9800%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA対照的に欧米では、Compute!’s Gazette や RUN などの専門誌がC64向けにタイプイン(読者投稿)プログラムを大量に供給し、巨大ユーザー基盤のうえでソフト文化が爆発的に育った。この“雑誌 × タイプイン × 市場規模”の循環がC64の圧倒的普及をさらに後押しした。(ウィキペディア)

Compute!'s Gazette - Wikipedia
Compute!'s Gazette is an American computer magazine that was first published from 1983 to 1995 and relaunched in 2025. Originally dedicated to users of Commodore's 8-bit home computers, the revived magazine now covers the broader retro computing landscape, including Apple II, Atari 8-bit, Amiga, Tandy, MS-DOS, and other classic platforms.
https://en.wikipedia.org/wiki/Compute%21%27s_Gazette?utm_source=chatgpt.com――要するに、「世界基準のC64」と「国内完結の88/98・FM・X1・MSX」 という二つの生態系が80年代に並行して存在し、日本では後者が圧勝した。
この記事では、そのギャップを日本のMSX/雑誌文化と照らし合わせながら掘っていく。
(ウィキペディア)
FMV - Wikipedia
FMV(エフエムブイ)は、中国・レノボグループ(スマートフォンブランド : モトローラ・モビリティ)に所属する富士通クライアントコンピューティング(旧・富士通)のパーソナルコンピュータの商標。
https://ja.wikipedia.org/wiki/FMV
X1 (コンピュータ) - Wikipedia
パソコンテレビX1(エックスワン)は、シャープテレビ事業部が製造していたパソコンの名称である。型名はCZ-800 [1]シリーズ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/X1_(%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF)
MSX - Wikipedia
MSX(エム・エス・エックス)とは、パソコンの共通規格の名称である。1983年に最初の規格であるMSX(通称「MSX1」[1])が米マイクロソフトとアスキー(後のアスキー・メディアワークス)によって8ビットパソコンの共通規格として提唱された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/MSXC64 | MSX | |
---|---|---|
発売年 | 1982 | 1983 |
BASIC | Commodore BASIC V2(MS系統) | MSX BASIC(MS系統+拡張) |
音源 | SID(3ch+フィルタ) | PSG/OPLL 等 |
画 | VIC-II(スプライト/スクロール) | VDP(SCREEN命令で扱いやすい) |
雑誌 | Compute!’s Gazette / RUN | MSX-FAN / MSXマガジン |
2. C64とは何か?
概要
- 発売年:1982年(Commodore International)
- CPU:MOS 6510(6502系)
- RAM:64KB
- グラフィック:VIC-II(スプライト/スクロール/多色表示)
- サウンド:SID(3音+ノイズ、フィルタ、ADSR 等)
- BASIC:Commodore BASIC V2(Microsoft BASIC系) ――という“8bit黄金仕様”を一台に詰め込んだホームコンピュータ。単一モデルとしての販売台数は約1,250万〜1,700万台で、ギネス記録でも「最も売れたデスクトップPC」とされる。(ウィキペディア)

Best-selling desktop computer
The best-selling desktop computer of all time is the Commodore 64, which was manufactured by Commodore International (USA) between August 1982 and April 1994. The exact number of C64s sold is unclear – Commodore founder Jack Tramiel estimated between 22 and 30 million units, Commodore's official estimate was 17 million units while a credible modern estimate puts the figure at around 12.5 million units. The C64 is still the most popular single model of desktop computer, even with the most conservative numbers.
https://guinnessworldrecords.com/world-records/72695-most-computer-sales?utm_source=chatgpt.comBASICは「MSX BASICにそっくり」の理由
C64のBASIC(Commodore BASIC V2)は、もともとMicrosoft BASICをライセンスした系統。
電源投入で即BASIC画面 PRINT/INPUT/FOR…NEXT といった文法・行番号スタイル等、MSX BASICと“同じ家系” ゆえに体感がよく似る。
違いは、C64の初期BASICにはグラフィック/サウンドの高級命令が少ない点で、当時のC64ユーザーはPOKEでハード直叩き(VIC-IIやSIDのレジスタ操作)に自然と向かいがちだった。
(ウィキペディア)
グラフィック:VIC-IIが作った“画面の説得力”
C64の画面を支えたのがVIC-II。ハードウェアスプライト、スムーズスクロール、複数のカラーモードなど、8bit期としては非常に強力で、アクション/シューティングの表現力を一気に引き上げた。MSXの「規格統一」に対して、C64は単一機種で大市場を作れたため、VIC-II前提の最適化がソフト側でどんどん洗練されたのも強み。(ウィキペディア)
サウンド:SIDが生んだ“C64音”
伝説のSID(6581/8580)は、3音+ノイズに波形選択/レゾナンス付きフィルタ/ADSRまで備えた“楽器”寄りの音源。ベースが太く、フィルタを効かせた独特のサウンドは“C64音”として今も根強い人気がある。ゲーム音楽やデモシーンはSIDを徹底的に攻め、ハードの個性=カルチャーを確立した。(ウィキペディア)
欧米で「国民機」になれた背景
- 価格×性能のバランス:量産体制と自社チップでコストを抑え、**“安くて強い”**を実現。
- 巨大な雑誌エコシステム:Compute!’s Gazette や RUN がタイプイン(読者投稿)プログラムを大量供給。誌面→打ち込み→改造→流通という循環で、ユーザー自らが開発者に育つ文化が太く続いた。ガゼットは月間20万部超に達した時期もある。(ウィキペディア)
要点まとめ
- **C64=VIC-II(画)×SID(音)×Microsoft系BASIC(作る入り口)**の三位一体。
- 「単一機種で巨大市場」だから、最適化された良作が雪だるま式に増えた。
- 雑誌+タイプイン文化が“作り手人口”を底上げし、欧米での国民機化を後押しした。
(ウィキペディア)
3. 日本で流行らなかった理由
3.1 日本語(2バイト文字)という“必須要件”を満たせなかった
80年代の日本で実用機として受け入れられるには、かな漢字混じり文を扱えることが前提でした。標準化された日本語文字集合(JIS X 0208=いわゆる2バイト/ダブルバイト文字)は1978年制定・83年改訂と、当時のPC実装の中核条件。C64はASCII前提で日本語入出力に最適化されず、ワープロや業務用途で国産機(PC-98+MS-DOS 等)が優位に。結果、C64は日本語圏の“実用”レースに参加できなかった。(ウィキペディア)
3.2 ソフト資産が英語圏中心=“刺さる体験”が届きにくい
C64の強みは欧米で爆発したゲーム/学習/タイプイン文化でしたが、雑誌・市販ソフト・教育向けタイトルの主戦場は英語圏。日本の家庭に届くカタログ・書籍・学校教材は国産機向けが中心で、C64の魅力(VIC-IIやSIDを活かした名作群)が**“翻訳・流通の壁”**で希釈されました。欧米では Compute!’s Gazette や RUN がタイプインを大量供給し、読者→作り手への循環を作ったのに対し、日本はMSX-FAN 等・PC-98系の誌面で同等の循環が完結していました。(ウィキペディア)
3.3 すでに“国内エコシステム”が出来上がっていた
日本市場は NEC PC-8801/9801、富士通 FM-7、シャープ X1、MSX で早くから生態系を構築。学校・企業導入、サードパーティ、サポート・修理網、専門誌の露出――川上から川下まで国産で回る体制が強固だったため、海外機が参入する余地は小さかった。特にPC-98は80〜90年代に国内で圧倒的シェアを握り、DOS/V登場まで“事実上の標準”として君臨した。(ウィキペディア)
3.4 広告・販路・雑誌露出がほぼゼロ
C64は欧米では「量販×低価格戦略+巨大ユーザー会+専門誌多数」で**“国民機”化しましたが、日本では家電量販・学校・業務の販路を国産が押さえ**、テレビCM・専門誌も国産機が専有。Commodoreは日本を重視した販売・宣伝体制を敷かず、一般ユーザーが**“存在を知る”入口自体が乏しかった**。結果、ギネスが記す“世界一売れたデスクトップ”であっても、日本では「名前を聞かないマシン」のままでした。(guinnessworldrecords.com)
まとめ
- 技術要件:日本語(JIS X 0208)未対応が決定打。
- 文化要件:英語圏中心のソフト/雑誌循環は、日本の読者投稿・同人エコシステム(MSX/98陣営)に勝てず。
- 産業要件:PC-98を軸にした国内サプライチェーンとメディア露出が、海外機の“入り口”を塞いだ。
4. 「読者プログラム文化」の共通点
4.1 タイプイン(写経)という同じ儀式
日本でも海外でも、雑誌に掲載されたBASIC/マシン語リストを手で打ち込むのが出発点だった。
- 日本:MSX-FAN、Oh!MZ、Oh!X、I/O、ベーマガ など。
- 海外:Compute!’s Gazette、RUN Magazine、COMPUTE! など。
手で写して、エラーを直して、動いた瞬間に「自分のMSX(C64)が“作品”を生み出した」体験を得る。ユーザーが“作り手の肩越しに学ぶ”儀式は、海のこちら側でも向こう側でもまったく同じだった。
4.2 チェックサム・ツールという“救いの杖”
長いリストは必ずどこかでタイプミスする。そこで誌面にはミニツール(チェックサム/ベリファイ)も載った。
-
仕組みの要点
- 行番号とその行の文字列(BASICなら
:以降
を含む)の文字コード合計や多項式的畳み込みを取る。 - 表示された値と誌面のチェック値を突き合わせ、誤り行を特定。
- 行番号とその行の文字列(BASICなら
たとえば(概念例):
10 INPUT "行番号?";LN
20 S=0: L$=PEEK$LINE(LN) '← 実在しない擬似関数(概念例)
30 FOR I=1 TO LEN(L$): S=(S+ASC(MID$(L$,I,1))) MOD 256: NEXT
40 PRINT "CHECKSUM=";S
やることは単純でも、効果は絶大。日本のMSX-FAN読者も、海外のGazette読者も、同じ方法で“自力で品質を上げる”術を身につけていった。
4.3 「改造」「投稿」へ:読者→作者のエスカレーター
打ち込む → 動かす → 改造する(速度・当たり判定・グラフィック差し替え) → 誌面に再投稿。 この循環が**コミュニティに“作品の連鎖”**を生んだ。
- MSX-FAN では読者作のマシン語ゲームが市販同等の完成度に達し、増刊 (ファンダム) や後年のROM化へ。
- Compute!’s Gazette/RUN でも投稿作のベストセレクションが書籍化され、付録ディスク(後期)で全国に配布された。
**「ユーザーが作り手に育つ」**土壌は、両文化に共通していた。
4.4 ハード直叩き文化の共鳴
- MSX:BASICにグラフィック/サウンド命令が豊富だったが、本格派はZ80とVDP/VGMを直叩きして性能を引き出した。
- C64:BASIC V2が貧弱(グラ・音の高級命令なし)ゆえに、VIC-II(描画)やSID(音源)のレジスタをPOKEで直接操作する流儀が広がった。
結果、**「紙の雑誌からハードの“地の文”を学ぶ」**スタイルが、双方で自然発生している。 PEEK/POKE → アセンブラへの橋渡しを、雑誌が担っていた。
4.5 「教育」と「娯楽」の境界が薄い
どちらの文化でも、“楽しいからやる”が最上の動機だった。
- 数学(座標・乱数・当たり判定)や英語(エラーメッセージ/関数名)は遊びながら身につく。
- 作品を誌面で共有する承認の場が、継続の燃料になった。
この実学×遊びの混淆が、のちの個人開発者や同人・インディの土壌を育てる。
4.6 違いが生んだ“得意分野”
- 日本(MSX/88/98):ドット絵・BGM・UIまで小型で美しく仕上げる職人芸が伸び、市販級の同人が多数。
- 海外(C64):SID音源を攻めるデモシーンと、VIC-IIを極限まで使い倒すハード最適化が広がり、個性的な音と絵が文化の軸に。
根は同じでも、ハード/誌面の流儀の差が、それぞれの“味”を濃くした。
4.7 まとめ
- タイプイン/チェックサム/改造/再投稿という学習の梯子は、日米でほぼ同形。
- 紙の雑誌が配布プラットフォーム兼・教育カリキュラムになり、ユーザー→作者の遷移を量産した。
- その結果として、“個人で商用級”に到達できる層が日米双方に生まれた。
5. もし日本にC64文化があったら?(深掘り)
5.1 「日本語C64」実現シナリオ
-
JISフォントROM+かな漢字変換ボード
- C64本体に日本語拡張(JIS X 0208フォント、かな漢字変換)を増設。
- 80カラム表示はC128相当の外部アダプタで補完、**“C64JP”**のような派生モデルが登場。
-
Microsoft BASICの日本語拡張
- MSX BASIC的な
SCREEN
/SPRITE$
/PLAY
等を日本語版C64 BASICに追加。 - これにより「MSXの親切さ × C64のVIC-II/SID」という最強の学習〜制作環境が成立。
- MSX BASIC的な
-
疑似DOSレイヤ
- 本家はMS-DOS非対応でも、CP/M風のファイル操作シェル+日本語ワープロを載せ、学校・SOHOで実用に耐えるラインを確保。
期待効果:“遊べる・作れる・仕事にも使える” の三立で、家庭+学校に一気に浸透。
5.2 国産アプリがC64に来ていたら
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一太郎/ロータス123の簡易版
- 80カラム表示+日本語入力が担保できれば、家庭用ワープロ+表計算の入門機としてPC-98の牙城に食い込む余地。
-
教育ソフトの国産移植
- 学校教材(日本語タイピング、算数・理科)をSIDで音声フィードバック、VIC-IIで直感的な図解。
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“C64 for School” サブブランド
- 学習+ホビーの境目を溶かす路線で、PC-6001〜MSXが得意だった分野に正面から競り合う。
期待効果:国産アプリ × C64の価格破壊で、低学年〜中学生の入口を根こそぎ押さえる可能性。
5.3 流通と雑誌:電気屋の棚が変わる
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家電量販の“C64島”
- ファミコン隣に C64カセット/ディスクが並ぶ。価格は国産PCゲームよりやや安く、量で勝負。
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“C64 FAN” 誌の創刊
- MSX-FANの編集ノウハウで、タイプイン+付録ディスクを標準装備。
- チェックサム文化の輸入逆輸出で、投稿→市販化の回路が太くなる。
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同人イベントにC64島
- コミケ系統・ショップ委託にC64同人が現れる。SIDアレンジ音楽ディスク、デモ、学習ツール等が混在。
期待効果:雑誌=配布プラットフォームが二系統(国産機/C64)に分かれ、作り手人口が倍化。
5.4 ゲーム体験:MSXと“棲み分け”ではなく“競合”
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アクションはC64、RPG/AVGは国産の分業に“ならなかった”可能性
- C64側が日本語RPG/AVGを本気でローカライズすれば、VIC-IIの滑らかさ+SIDの没入感で強烈。
-
アーケード移植の座組が変わる
- 欧州移植ラインが日本に直輸入され、ナムコ/コナミのC64国内版が普通に出回る世界線。
-
価格破壊
- 大量市場ゆえに廉価ラインが成立、**“中古ファミコンの価格帯でPCゲーム”**という異色の売れ方も。
期待効果:ファミコンかPCかの二択が崩れ、**“C64という第3の選択肢”**が10代の標準になる。
5.5 開発者キャリアへの波及
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MSX-FAN出身×Gazette流儀のハイブリッド人材
- 日本の投稿少年がVIC-II/SID最適化まで身につけ、海外デモシーンとの相互交流が加速。
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国産PC文化の“閉じ”が緩む
- 海外標準への窓が常時開くことで、90年代のDOS/V移行がスムーズになり、98専用資産の囲い込みが薄まる。
-
音楽シーン
- SID出身の日本人チップチューン作家が90年代から世界に出る。のちのBMS/同人音楽ムーブと直結。
期待効果:“国内完結”から“往復運動”へ──人材と作品が早い段階からグローバルに往来。
5.6 現実との接点(今できる再現)
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記事企画
- 「MSX-FAN的C64体験」を日本語で再現:タイプイン→チェックサム→改造→配布の手順をブログ連載化。
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音と絵の解説
- 「SIDでPLAY文っぽい体験」「VIC-IIでMSXのSPRITE相当を叩く」チュートリアル。
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資料アーカイブ
- Gazette/RUNの代表的タイプイン(合法的に公開のもの)を紹介し、日本語で読み解く。
期待効果:“もしも”を記事で部分的に実装できる。MSX世代とC64未体験層の両方に刺さる。
5.7 まとめ(if の効能)
- 日本語環境×国産アプリ×雑誌流通の三点が揃えば、C64は日本でも“もう一つの国民機”になり得た。
- その世界線では、MSXと競合しつつ相互刺激し、作り手人口と作品の総量が倍増していたはず。
- 今、私たちができるのは、記事・解説・音源再現でその「並走し得た文化」を記録に残すこと。
6. おわりに
Commodore 64 は世界の標準だったのに、日本では無名だった。 このギャップは、単なる歴史の偶然ではない。日本語環境・国産規格・流通と雑誌メディア――三つ巴のローカル要因が、海外の巨大C64エコシステムと平行世界を作ってしまったからだ。
けれども、遠く離れた二つの世界は、タイプイン(写経)→チェックサム→改造→投稿という「作り手を育てる階段」を、驚くほど同じかたちで持っていた。 私たちはMSX-FANを通じてBASICを打ち込み、エラーに泣き、チェックサムに救われ、少しずつ“中の人”へと歩みを進めた。海の向こうのC64少年少女も、Compute!’s Gazette や RUN でまったく同じ儀式をこなしていたのだ。
記憶の断片 最初のMSXで、雑誌のコードを一行ずつ写す。必ずどこかで間違える。 エラー行は当てにならない。そこで小さなチェックサムツールを走らせる。 合わない行が光って見える。直して、RUN。動いた瞬間の高揚感。 その体験は、市販ゲーム以上に“自分の作品が立ち上がった”という実感だった。
もし当時、日本にC64が本格上陸していたら――。 MSXの親切なBASICと、C64のVIC-II/SIDを組み合わせた**“作る・遊ぶ・学ぶ”三位一体の文化**が、もう一段分厚くなっていたかもしれない。だが現実は分岐した。だからこそ今、二つの文化を地続きとして語り直す意味がある。
この記事は、その橋を一本かける試みだ。 「世界一売れたパソコン」を日本の文脈で読み替えることで、私たち自身の80年代体験――MSX-FANの誌面に指を走らせた午後や、チェックサムに救われた夜――が、もっと広い世界の物語につながっていく。
C64を知らない世代にも、MSXを知らない海外の読者にも、 “同じ階段をのぼった仲間が世界中にいた” ことを、静かに伝えたい。
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